息子の柔術のジュニア国体で初めて訪れた町、スパンブリーはバンコクドンムアン空港から 車で約1時間15分ぐらいのただただ平野な田舎町だった。 参考までに記述すると、タクシーのチャーター料金は言い値が1500バーツであったが、 「知り合いが1200ぐらいだって言っていましたのでそれでいかが?」 といったらあっさり1200バーツになった。 スパンブリーに到着したのち、大急ぎでサムローと呼ばれるオートバイの後ろに 荷台をくっつけた乗り物で試合会場の大学まで向かったのだった。 このサムローに試合機関の2日間乗ることになったのだが、乗っている間風の巻き込みがひどく、 全く目を開けていられないなかなかつらい乗り物であった。 数日ぶりに会う息子は、遠路はるばる応援に来た母になど目もくれず、 たまたまコーチが面倒を見ているチェンライのチームの子たちと親交を深めるのに 大変忙しそうであった。のちに、全くモテない息子にこのチームの紅一点の女の子が 好意を寄せるといった珍しい出来事もあったらしいので、さぞかし楽しかったに違いない。 さて、肝心の試合はというとこの日に息子の試合はなく、息子の親友の試合があり、 もともと才能の塊の彼は決勝でこそ敗れたものの、あっさりと銀メダルを獲得した。 これで次の日に試合を行う息子のプレッシャーはなかなかのものになったはず。 試合当日、初戦は不戦勝、2回戦、3回戦を順調に勝ち進みベスト4まで何とかこぎつけた。 しかし準決勝で惜しくも敗退。しかし通常であれば、準決勝まで勝ち進めば負けても3位で メダルは確定のはず。ところがこの大会に限っては、敗者復活戦でこののち2回戦以上を 勝ち抜いた選手(ベスト4以外)たちがもう一度戦い、準決勝で負けた選手とこれを勝ち抜いた 選手はもう一度戦い、3位を決定するという不思議なルールだということが判明。 このメダルを取れるか取れないかというのは、単純に負けるか勝つかよりも心臓に悪い。 3位決定戦の間中「ちょっともう見てられないから、トイレ行ってこようかな」 となんど息子の親友につぶやいて、「ちゃんと見てあげて」と諭されたかわからないほどだ。 この試合時間3分とはなんと長いことか・・・ そんな母の心配をはねのけ、 かなり気合の入った内容で彼は見事3位、銅メダルをもぎとったのだった。 赤ん坊の時は普通の子供より歩けるようになったのも遅く、初めて歩いたのも1歳4か月ぐらいだった。 自転車に乗れたのも小学2年セぐらい。誰よりも遅かった。 運動会で走っても、やっぱり遅く、「ああ、この子は運動神経があまりよくないのだな」と確信した。 そんな息子が、まぐれでもジュニア国体で銅メダルを取るとは夢にも思わなかった。 本当に心の底からうれしくて、普段喧嘩ばかりしてドラマのように「うるせーばばあ」 といわれることもしばしばだが、こんな親孝行をしてくれるとは夢にも思わなかった。 競技人口が少ないとか、いろいろなラッキーなことも重なったからだとも思うが、 運も実力のうちというではないか。誰が何と言おうと、これも彼の実力なのである。 ああ、なんという親ばかぶり。 今息子の高校の前を通ると、ジュニア国体でメダルを取った選手を称えるとても大きな看板が飾られている。 3人の生徒がメダルを胸に映っているのだが、その一番左端は息子だ。 県のスポーツ協会が、メダリストたちの写真をとって看板を作り、各学校に寄贈したらしい。 私にとって子育てとは何かにつけてお金もかかるしストレスや心労も絶えないものであるが、 時として思いもかけない喜びももたらしてくれるものである。
2016年5月7日土曜日
お兄ちゃん、銅メダルに輝く!
2016年4月1日金曜日
【兄やんジュニア国体に出場の巻】
またまた子供たちの長い休みがやってきた。3月の頭から5月の中旬までの 約2か月半の間、タイの小中高は1年でも一番暑いこの時期に休みに入る。 この長い休みに入ってすぐに、ここ半年の中で私と息子の間では最大の イベントであるジュニア国体がスパンブリーという県で行われた。 ジュニア国体とは、競技によって年齢が若干異なるが、大まかに12歳以上 18歳以下の青少年たちが各競技を県ごとでメダル数を競い合う。交通費、 および滞在費も県から支給される。通常の試合は交通費も滞在費も自己負担 なので、県からお金が支給されるというのも初体験。これだけでも感激。 今回は一人あたり5600バーツの支給だった。 これプラス、もしメダルを獲得できれば県からご褒美の賞金が出る。 日本でプロのスポーツ選手やオリンピッククラスでないと試合で賞金が、 ましてや学生に賞金が出るという話は聞いたことがないのでまたまた驚き。 こんな大会に出れる機会はこの先もうないかもしれない。 ということで、急いで飛行機のチケットを取りスパンブリーと言う、 行ったことはもちろん、あまり聞いたこともない県に応援に行くことになった。 行きかたはプーケットからバンコクまで飛行機。安く行きたいのであれば、 空港からバンコク市内まで出て、バンコク市内からバスかミニバスで 約2時間半。ただし今回は出発日の9時から試合がスタートするとのことなので、 早朝6時の便でバンコクまで行き、時間がないのでそのままドンムアン空港から タクシーで現地まで行くことにした。 この話、まだまだ長いので次回に続く。
2016年2月1日月曜日
兄やんのお正月
この間年が明けたと思ったらもうすぐ2月。
子供たちも上の子なんてこの間中学生になったと思ったら、もう高校生で、はっと気づいたらあっという間に二十歳を越えていたなんて数年後に言っていそうである。
子供たちも上の子なんてこの間中学生になったと思ったら、もう高校生で、はっと気づいたらあっという間に二十歳を越えていたなんて数年後に言っていそうである。
年末は毎年、ちょっとした御馳走をつくって昔からお世話になっている人たちにきてもらいうちで紅白を見たり、年明けとともに上がる花火を我が家の三階から見るのがなんとなくの恒例行事となっている。
ところが年末が迫ったある日、息子が
「ねえ、大晦日は友達と年越しパーティーをしてカウントダウンをしにいってもいい?」
と聞いてきた。
すかさず
「だめよ。うちはうちでパーティーがあるのを知っているでしょう。お友達のうちに泊まりに行くといっても、よっぽどのことがない限りダメとは言わないんだから、大晦日ぐらいはうちにいなさい」
といったら、多少文句を言いながらもそれで納得したらしい。なぜならその日は私の友達の娘もやってくる予定で彼女は彼のクラスメイトだから。「あいつも日本人とタイ人のハーフだし、親に付き合ってうちにくるのならオレも我慢しよう」と思ったのではないだろうか。
ところが大晦日当日。友達の娘はお友達のうちで開かれる年越しパーティーにいってしまったのである。
そこで自分だけがパーティーに行けなかった怒りが爆発する息子。四文字バッドワードをつぶやきながら、一気に期限が悪くなってしまった。
そこまで機嫌が悪くなるのだったら、居ていただいてもろくなことはなさそうなので、じゃあそんなに行きたいなら行っておいでよといったのだが、もう遅いと完全にいじけてしまった。
しばらくはずっと機嫌悪そうにしていたのだが、その後何人かの友達と連絡がついて私たちの住むパトンビーチに数人の友達が、がカウントダウンをビーチでするためにやってくるためそれにジョイントできることになったらしい、ちょっぴりだけおしゃれをして、いそいそと年越し前に出かけて行った。
カウントダウン後、結局皆で友達のうちに泊まることになったというメッセージを残し、彼は生まれて初めて年越しをうち以外のところで過ごした。
カウントダウン後、結局皆で友達のうちに泊まることになったというメッセージを残し、彼は生まれて初めて年越しをうち以外のところで過ごした。
2015年12月2日水曜日
兄やんの学生生活の意義
前回からの続き、午前中は学校の授業、午後は兵隊の激しいトレーニング、 その後手自分の習い事としてのテコンドーと柔術の練習に加え、時として 朝方までに及ぶ授業の課題。2週間この生活を続けてみるみるうちに、 疲れが顔に出てきた息子。 普段だらだらしている姿を見ると妙に腹が立って小言を言い、当然思春期 の息子は「うるせえな」となり大喧嘩に発展は日常茶飯事のわれら親子。 だが、皮肉なもので、あまりに過酷な彼の生活を目のあたりにすると 今度は心配になってくるのが親心。普段はやりたいといって中一から 始めた習い事を絶対に「休んだら?」ということは今までなかったが、 ついに「あと2週間この生活は持たないと思う、倒れてしまっては 元も子もないからテコンドーと柔術は2週間休もう」と持ちかけ 息子もそれに応じることとなった。 その後この過酷な1か月はなんとか終わりを迎えるのだが、 終わりを迎えるとともに期末テストが始まってしまうのである。 テスト結果は散々なもので、その結果によって出る成績表は本人も驚きの ものだったため、その場で返却し、私は見ていない有様。 10月の休みは追試の勉強に追われ、追試の追試さえ合格基準に 達しなかった為本人反省しかり。 あれほど「そんなに勉強ってしなくて大丈夫なの?」と毎日口うるさく 言ってきたのがウソのように、何も言わなくても新学期が始まって数週間 経つ今でも毎日遅くまで復習しているようである。 本人曰く、「学生生活なんて学校、勉強、ソーシャルライフ、睡眠 ってあるかもだけど、すべてを満たすことなんて無理なんだよ。おれは、 今勉強もあきらめたくないから学校、勉強、ソーシャルライフを大事に するから睡眠なんて少しでもいいんだ。 あ、俺の場合ソーシャルライフの中に練習も含まれてるから」 ということで睡眠時間を削って頑張っているよう。 この頑張りいつまでつづくのか?はたしてこれからどうなるのか。 期待半分、心配半分。どうやら母はそっと見守るしかないようである。
2015年9月30日水曜日
お兄ちゃんの過酷な日々
息子はただいま地獄の1か月の終盤を迎えようとしている。 この1か月間の彼の生活は親の私から見ても本当に過酷であった。 なにがそんな過酷かというと、ロードーという学生時代に任意で行われる 軍事訓練と学生生活の2重生活を送っていたためだ。 ロードーに関しては前にも書いたが、簡単に説明するとタイには兵役があり 21歳の時にくじ引きで決まる。くじ引きに外れたものは 絶対に兵役を2年勤めなければならない。逃げたり、行かなかったものは タイ国民といての権利を与えられず、結婚もできなければ土地を買うこともできず、 IDカードも作れない。 そのくじ引きを唯一免除できる制度がこのロードーで、 学生生活もしくは20歳までに1年に1か月、 3年間この軍事訓練を受ければよいというもの。 軍事訓練にはいろいろなリスクが伴うので、参加しない子もいる。 息子の高校では3人に一人ぐらいが参加しないそうだ。 息子は朝5時20分に起床。訓練のために軍服のような制服に着替え、 編み上げのブーツをはく。装備を全部そろえるのにいつもより 時間がかかるため5分早く起床。 そのまま普段どおり学校に行き、午前中はその格好のまま普通に授業。 午後から移動して訓練センターに向かう。そこから5時まで訓練。 泥の中を匍匐前進したりするので、全身どろどろ、 天気の良い日は日に当たりっぱなしなので真っ黒。訓練後ははらぺこ。 急いで何かをかきこんで、テコンドーの練習。 夜9時過ぎに帰宅。どろどろになった制服の泥を高圧ホースで洗い流し、 その後の洗濯は私にバトンタッチ。 泥にまみれた制服は、洗濯機に入れられる前にかなり時間をかけて 泥は流しているにもかかわらず、3回ぐらい洗濯機を回しても まだまだ茶色く濁る有様。 何度洗っても透明な水になることはないので、3回ぐらいであきらめる。 そして息子はパンツ一丁のまま、学校から出された大量の課題にとりかかる。 なぜなら、彼らが訓練をしている午後の授業で出た課題を やらなければならないから。 これが終わるのが恐らく真夜中の2時か3時。 私は先に寝てしまうのだが、いつもこの時間に寝る前にシャワーを浴びる音が 夢の中で聞こえてくるからだ。 そして約3時間後に起床時間。 この生活を2週間近く続けたある日、息子は 「オレ1か月もつかな」とつぶやいた。 長くなるので次回に続く。
2015年9月13日日曜日
タイの運動会
毎年8月あたりはなぜかタイの運動会シーズン。しかしここの運動会は、かなり 日本のとは異なる。日本の運動会はご存知紅白にわかれ、全員がいろいろな協議 に参加し(時として親も)勝利を競うというものだが、タイの運動会は4色。 しかも、赤、黄色、ピンク、紫の4色。派手な色のオンパレードでこれまたタイ らしい。 そしてこれが決定的に違うところだが、競技は陸上、バレーボール、バスケ、 フットサル、卓球などに分かれ、何日にも及ぶ。選手は希望者、もしくは各チー ムの選抜者のみが出場できるシステムで、全員参加ではない。 参加しない生徒はどうするのかというと、ひたすら応援に徹するのみ。 何日にもわたって行われる競技の終止符は最終日、どこかの競技場や体育館など で華やかなパレードとともに終わるシステム。このパレードも採点の対象となる。 そのため、女子たちは美を競う為、これでもかという化粧と朝の3時から美容院 で結いあげた髪、生徒によっては数千バーツかけたきらびやかな衣装を身にまとう。 なんも参加しないのではつまらないと言うので、今年うちの息子はバスケと卓球、 娘は水泳の競技に参加した。娘は最終日のパレードにチアリーダーのなかの更に リーダーとしてパレードとダンスに参加。 ダンスでは、当日まで全く知らなかったがセンターでリーダーを立派に務めあげ た。なんといっても声の大きさで学級委員に任命された娘だ。チアリーダーで大 声を出すのは得意中の得意。見事1位に輝いた。 ← 親ばか しかし、このパレードの衣装代や朝早くから髪の毛をやったり化粧をしたりする のは母としてはできればもうやりたくない。うちは経費節減のため、化粧も髪も すべて私がやるが、それでも大変で、パレードに連れていくころにはもうぐった りだ。是非とも今年限りでやめてほしいと思うのだが、そんな母の心とは裏腹に 「先生が来年はチームの一番前でプラカードを持つ人をやれだって」 と今から言い出した。母複雑。
2015年8月3日月曜日
【お兄ちゃん バンコクに修学旅行中!】
イエス、イエーーッす。 ほぼ毎日言い争いや喧嘩を日課のようにこなしている息子がただいまバンコク にいっている。学校から、社会見学を兼ねた5日間の旅行だ。 息子がいなくて、娘一人だとこんなに家は汚れなく、洗濯物も少ないという こともうれしいし、ストレスもほぼゼロ。快適な日々である。 息子のいっているインターナショナルクラスは1学年2クラス、1クラス 約20人という少人数制。ただ、もう1クラスは理数クラス、息子のクラスは 英数クラスと多少カリキュラムが違うため、行き先も多少異なるという理由で 息子のクラスが先発隊、もう一クラスは後期に行くということになっているらしい。 今回の行き先は、バンコク。行きも帰りも飛行機。泊るホテルはアイビス。 アイビスはインターナショナルホテルチェーンであるアコーグループが 手掛けているバジェットタイプのホテルブランド。決して安ホテルではない。 朝ごはんビュッフェ付き。 バンコク内では、 1日目アメリカ大使館、イギリス領事館の社会見学と夕方はサイアムスクエアで観光。 2日目バンコク中央郵便局、国連、アジア最大級のショッピングモール、パセオパーク観光。 3日目IBMなどのコンピューター関係の企業の社会見学、ラチャダーにある市場で観光。 4日目午前中は社会見学、午後はバンコクを離れ観光。 という盛りだくさんのスケジュール。 朝ごはん以外は自己負担だが、これだけいろいろ行けて生徒負担は4300バーツ。 ほとんどの費用は学校負担なので、かなりのお得感がある。 しかも、さすが公立。息子の高校は王立なので、国からの援助もかなりあるそう なので助かる。 旅行は相当楽しいようで、全く息子からの連絡はない。 時々フェイスブックを除いては、友達がタグ付けしてくれた写真で息子の様子を 垣間見る。自分から電話もしなければ、フェイスブックに投稿すらしない息子はタグ付け された写真の中で満面の笑顔を見せている。 もうすぐ戻ってきてしまうので、私のストレスフリーな生活ももうそろそろ終わりを告げる。
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