2017年10月10日火曜日

娘の水泳ライフと成長

去年あたりから、ずっとやっていた水泳をやめたいと言っていた娘は、4月に日本に3週間滞在したのをきっかけにそのままやめた。幼稚園年長でビギナークラスから入り、1年生からは選手クラスで真剣に毎日2時間から3時間泳ぎこんでいたためか、水泳のない毎日はのんびりしていて彼女もそれを楽しんでいるように見えた。


やめるには様々な理由があった。彼女が所属していたクラブのコーチはプール専属ではなく、クラブチームで私営のプールを借りているため、契約の関係等の理由からよくプールを変えた。通っている選手のほとんどは、親が車で送り迎えをするため、場所が変わってもそんなに支障はない。


我が家は自宅から学校まで車で約40分という距離にあるため、兄も彼女も幼稚園の時からスクールバスで通学している。練習していたプールはスクールバスの通り道であったため、帰りは自宅ではなく直接プールで降りて、練習が終わる頃に私が迎えに行けばよかったので、我が家でも習い事をさせることができた。


ところがちょうどこの5月から、クラブはまたプールを変え、ついにその場所はスクールバスの通り道ではなくなってしまった。プール自体は、大学が新しく建設したスポーツ施設で、屋根付きの50mプールというプーケットでは驚くほど最新、ぴっかぴか、プーケットでは規格外のすばらしさ。


しかし送迎上の問題はどうにもクリアできず、本人もちょうどモチベーションがなくなったのか、あっさりやめてしまったのだ。このコーチを私は非常に気に入っていたので、やめたときは逆に私ががっくりきてしまった.


やめて5か月。大学のプールの近くを通ると、最近急にめそめそしだしたり、仲間に会いたいなあと言い出すようになった。そんなある日、クラブに通っているお友達家族に自分で一緒に行かせてくださいとお願いし、あっさりとあの厳しい選手生活に戻って行った。


もともと、選手としてはいいタイムで泳ぐとかからはかけ離れている娘。しかし、小さいころから体が丈夫で、熱が出ても1晩で回復、具合が悪くて学校を欠席することもない健康優良児に育ったのは水泳のおかげかもしれない。


今日も元気に水泳に行くのかと思いきや、学校から電話がかかってきて今日はすごく疲れたので休みたいという。おや、どうしたのかと思ったらそろそろかと思っていた初潮が本日やってきた。

2017年8月13日日曜日

にいにのラブストーリー

彼女いない歴17年の息子に彼女ができた。思えば小学生のころ、何年も好きだった初恋のクラスメートに2度ふられて以来、もう恋なんてしない、なんてーーというわけではないだろうが、すごく好きになる子はいなかったらしく、心配になるほど彼女ができなかった。ごくごくたまに好きだと言ってくれる子もいたようだが、生意気にも断ったりしたこともあるらしい。

まあ、見た目からしてめっちゃもてて困ります、というタイプではないし、バリバリの3枚目だと母の眼から見ても思うので、恋愛にばかりうつつを抜かしている息子というのも気持ち悪い。母としてはそれはそれでいいかとも思っていた。

そんな男が、バレンタインデーの時についに彼女いない歴17年に終止符を打つ行動に出るのである。前からちょくちょくチャットで仲良くしていて好意を持っていた同じ学校の下級生の女の子でダンスやギターを習っていて、今年の8月にはアメリカへの交換留学が決まっているお嬢様。

息子の学校は毎年、生徒のための日が設けられていて、去年はそれがこどもの日だったが、今年はバレンタインデーがその日だった。学園祭のようなその日は授業はなく、生徒たちによるコンサートが行われたりした。友達が演奏している途中、演奏中の友達から花束を受け取り、全校生徒が見守る中、公開告白をしたというのだ。

そんな恥ずかしいことを平気でできるとは、信じられない!本人は多少なりとも緊張したというのだが、それよりも短い高校生活楽しまなきゃ損損、という気持ちのほうが強か
ったというから驚きだ。

まあ、そんな自分の恋愛話を母親にうれしそうに話す男だからできる仕業といってもいいのか。 ほどなくして、彼女からよいお返事をいただき、めでたくかわいらしい彼女ができた。

時には、夜中にチャットで喧嘩してその騒ぎに私を眠れなくするという迷惑行為や、映画にいったまま何時間も連絡が取れなくなり、心配したお相手のお母さんが息子の担任の先生にまで連絡をし、息子たちのフェイスブックが大炎上するというような事件も起こったりしているが、彼女のお母さんがうちに息子を送ってきてくれたりしてご挨拶も済ませた状態なのでなんとなく楽しく平和にやっているようである。

そんな彼らには8月に彼女がアメリカに留学に行ってしまうという苦難が待ち受けている。この先彼らがどうなっていくのか、ちょっぴり心配な母である。

2017年5月29日月曜日

にいにのメダルストーリー

子供たちの夏休みも終盤を迎え、娘は日本の祖母のもとに3週間の予定で旅立ち、入れ替わりに息子が3週間のバンコク修行を終えて帰ってきた。休みに入ってのこの2ヵ月、息子にはいろいろなことが起こった。

休みに入ってすぐに毎年あるジュニアの国体に出場しなければならないのに、兵隊の合宿に数日行かねばならなかった。柔術という競技でプーケット代表として出場するのだが、出場するには体重制限もある。合宿中は出される食事は残してはならないというのもルールの一つなので、減量もままならない状態、結局10日間で6キロ近い減量をする羽目となった。

大会3日前、砂利道でバイクで派手に転んだらしく、夜に帰ってきた時に彼の左半身は包帯でぐるぐる巻きだった。私にこっぴどく怒られるのをわかっているから、一人で病院に行ったらしい。

翌朝、ちょっと試合は無理かもしれない、痛くて寝られなかったとこぼしたが、「柔道の山下は骨折していても金、野村も怪我をしながらも戦い続けた、お前も自分で勝手にバイクで転んだんだ、今更棄権などゆるさん」という私の言葉に、おれは山下でも野村でもないけど、と言いながら、他の選手よりも1日遅れで試合に旅立っていった。

怪我以前に、6キロ近い減量がパスするのかというのもかなり心配だったが100gの誤差もなく一発で成功。この減量の絶妙加減は最近ちょっと神がかってきたが、よく考えればそもそもこれももう少し計画性を持っていればここまでしなくてもいいという話である。

実は、転んだ当日くるぶしを5針縫い、その下の部分はとがった石によってえぐれ、骨近くまで肉がそげた状態だったというのは、なんとか試合に出場して銅メダルをいただき、帰宅した次の日に初めて聞いた。

怪我はその後もなかなか治らず、1ヵ月過ぎたあたりでやっと肉が再生して包帯をとることができる状態だった。おそらくあの日戦えたのは、スポーツマンとしての彼なりの意地だったのだろう。そして、包帯ぐるぐる巻きの息子の足を攻めてこなかった相手選手たちのスポーツマンシップ。

今回の銅メダル決定戦で、息子は今まで一度も勝てなかった相手に勝った。だがある日息子がぽつりと「俺が今回勝てたのは、あいつが優しかったからじゃないかなぁ、あいつは怪我をしてる左側を全く攻めてこなかった」と漏らした。おそらく相手は相当戦いづらい状況だったのだろう。次はフェアな状態で、彼に勝って心から喜びたいものだ。

2017年4月3日月曜日

娘の涙と笑顔

子供の成長は早いというが、近ごろ娘の成長が半端ない。娘は
現在小学4年生、10歳になった。身長はこの半年で5センチ近く
伸びた。恐らく体重はその比率のバランスが合わないほど増えて
いると思う。なぜ体重は推測かというと、娘が教えてくれないか
らだ。両親ともにデブのDNAをたっぷり受け継いでしまった娘
は、残念なことに大変太りやすく、これまたDNAのなせる業か
食べることも大変好きである。最近の太り方はなかなか普通では
ないので、私もつい口癖のように「そんなに食べちゃだめ」とつ
い口酸っぱく言ってしまうので、怒られることが怖くて体重も教
えてくれなくなってしまった。

胸もだんだん膨らみ始め、ファーストブラなるものも半年前か
らつけている。そんなどんどん成長する身体に反して、精神面は
母から見るとまだまだ子供っぽい。先日は学校から帰ってくるな
り、クラスで一番仲良くしている友達がほかのクラスメイトに、
「あの子と遊ばないほうがいいよ」などとそそのかされ、自分と
遊んでくれなくなった、うえーんと泣き出した。「そんなのあん
まり気にしないほうがいいよ、そんなことで他の人のいうことを
聞いて遊ばなくなる子なんてそれまでの子よ、そんなの友達じゃ
ない」といったらひとしきり泣いた後、結構ケロッとした表情で
「わかった、そうする。気にしない」といって次の日は何事もな
かったように学校に行った。

10歳の誕生日には、youtubeで動画を見たいというので、安い
スマホをプレゼントした。最近ではその仲たがいした友達と学校
から帰ってくるとラインでビデオチャットをしながら一緒に宿題
をやったり、一緒に歌を歌ったりして楽しそうにしていたのだが、
それもなくなってしまって何だかかわいそうだな、と私も陰なが
ら少し胸を痛めていたのだが、その後ラインでその友達から連絡
があって、泣きながら謝ってきて和解したらしい。

子供たちの仲たがいも、和解の理由も母には何だかさっぱりわ
からなかったが、和解した後の娘の笑顔がうれしく、その笑顔を
見て本当にほっとした。

子供の頃、母がよく「お母さんは、あなたが幸せだったらなん
でもいいよ」というようなことをたまに言っていた覚えがあるが、
今ではその気持ちが本当によくわかる。子供たちはこれからもつ
らいことや苦しいことに直面して、泣いたり苦しんだりするであ
ろうけど、最後には笑顔でそれを乗り越えていってほしい。

昨日から学校のキャンプに2泊3日で行っている娘は今朝「す
っごい楽しいよ~~。じゃあね~~」とさっさと電話を切ってし
まった。そのぐらいのほうがきっとちょうどいいのだ。ちょっと
寂しい気はするがそれできっといい。

2017年3月1日水曜日

強運の男、にいに。

これまでの人生、当の本人は大して運はないと思っているが、周りは「かなり運が強い」と思われている男、それが我が家の長男、にいに。

高校受験は狭き門であったにもかかわらず、補欠という立場にありながら、本当は入学願書提出日に補欠の人間は待機していないといけないのにそんなことも知らず、その後学校に、「僕は補欠1番なのですが(入学希望者が1人減った場合に、1番の枠であるという意味)どうなっているでしょうか」と毎日聞きまくった。事情をよく知らない事務の方が「そんなに言うなら、校長先生に会ってみてはどうですか」とたまたま取り次いでくれたため、校長に直接面会をし、「うーん、君はなんであの日来なかったのかな?そうしたらなんの問題もなくはいれたのにね」といいつつも、「じゃあ、君の希望している課の学部長が良いといったらいいよ。聞いてきなさい」とこれまた校長自らが学部長に取り次いでくれたため、無事狭き門をなんとかすり抜けることができた。

去年は数年前から始めた柔術という、まだまだ競技人口の少ないスポーツで、対戦相手もあまりいないため、すんなりとジュニアの国体に出場する機会を得て、これまた新しいスポーツではあるが一応経験はまあまああるため、たまたま銅メダルをいただくことができた。これは私の中ではかなり運の強い出来事の一つだと思っている。

そして2017年1月。ついに、にいにはジュニアとして柔術でファイティングと寝技の2種目のタイ代表選手となってしまった。先月これの選考会を兼ねた全国大会がバンコクで行われ、たまたま強い選手が年齢が足らず出場できなかったため、こんな大役が彼に回ってきてしまったのである。先日はジムのコーチから私が呼び出され、「努力もしない、練習にもあまり来ない、態度もよろしくない、せっかくこうやって素晴らしい機会に恵まれ、この調子で行けばスポーツ推薦で有名国立大学は選び放題、賞金だって稼げるというのに、このままでいったらクビ」とこっぴどく怒られた。

これには当の本人は「学校のワークとかが忙しくて練習は行きたいけどなかなかいけないんだ。仕方ないだろう」と怒っていたが、国代表になったことについては「困ったなあ...おれ本当にそんなに強くないのに」とため息をついている。これまでほとんど運だけで生きてきた男にいに。タイトルに負けないよう努力して、実力と変えるのか、はたまたむざむざと国際試合においてひどい成績を残すのか、またしても運で何かを勝ち取るのか。

それはまずこの数カ月だらだらして8キロ近く増えた体重を戻してからだ。

2016年9月28日水曜日

新しい家族マリちゃん。

我が家にはかつて2匹の家猫と1匹の外猫がいた。
外猫はうちの庭に野良猫が産み捨てた4匹のうちの1匹が結局どこにも去らずそのまま残った子。
私は短毛種の猫にアレルギーがあるため、家に中に入れず外で彼女は一生涯を過ごした。
最後まで彼女は我が家の庭に居続けた。
1匹は今月10歳になる娘が生まれるときに知人に預け、その預け先で大変にかわいがってもらい今もそこの子として元気に幸せに過ごしている。
もう1匹の家猫は、オスだったためたまに衝動的に外に出て野良猫とけんかした際にどうやら猫エイズに感染、最後はかなりつらい症状が出て、歩くこともできず、ほぼ寝たきりの状態を1か月すごしたのちにいつも彼が過ごした私の座る席の足元あたりで亡くなった。
 最後はトイレもご飯を食べることもままならなかったため、息子がほぼつきっきりで看病した。息子は彼と最後濃密な関係であったため、亡くなった時のショックは大きく、金輪際もう猫を飼うことはしないといい続けた。
それから約4年。我が家に新しい子がやってきた。メスのペルシャの2か月の子猫。
名前は息子がマリと名付けた。
数日前に衝動的に彼は猫がほしい気持ちがむくむくと湧き出て、ついにわたしの
「じゃあさ、見に行くだけ見に行っていい子がいたら考えようよ」
といった言葉に首を縦に振った。

突然ゲージの中から出され、車に乗せられ、知らない家に連れてこられたマリは今すっかり安心した様子でおなかを見せてすやすや寝ている。
うちに帰ってきてから普段いがみ合ってばかりいる息子と娘は二人で協力して、額を突き合わせながらトイレの準備をしたり、水や食事の世話をした。
そんな光景を見られるのは、母としてはなんだかほほえましく嬉しい。

昨日試験が終わり、明日から1か月の休みに入る息子と来週の半ばから同じく休みに入る娘。新しい妹が加わり今回はちょっといつもとは違った休みになりそうだ。

2016年9月4日日曜日

兄やんが聖火ランナーとなる!

 オリンピックも終わり、スポーツ観戦オタクのわたしは少々燃え尽き症候群+オリンピックロス感に襲われる日々。次は9月にあるテニスのUSオープンか、10月の世界体操か。 
あ、9月からはまたサッカーワールドカップの最終予選が始まるか。それまでは私のスポーツ観戦もしばしお休みといったところである。 
先月の娘の体育祭が終わったと思ったら高校生のほうの息子の体育祭が先日やっと終わった。数週間にわたって行われた息子の中高一貫校の体育祭は、各競技がオリンピックのように2週間ほどにわたって開催され、最終日は陸上競技とともに各チームが応援合戦とパレードで盛り上がる。 
それはなぜか開会式も閉会式も兼ねる。息子の学校は中高一貫校でプーケットでももっとも生徒数の多いマンモス校。全校生徒は約3000人。3000人を収容できる場所はなかなかないので、プーケットで一番大きなスタジアムを借り切っての一大イベントだ。 
体育祭はたった一日のためにプロのオーガナイザーを雇うほどで、パレードの各色のプラカードを持つ先頭の生徒などは、貸衣装やヘアメイクなどで1万バーツ以上もかけるらしい。美貌とお金に余裕のある生徒のみにあたえられた特権といっても過言ではない。 
そして、今年は聖火ランナーになんと息子が選ばれた。聖火ランナーはスタジアムにある聖火台に上って灯をつけ、選手宣誓を代表で行うというもの。3000人の中から選ばれた大役。
この3月に行われたジュニア国体で、彼の学校では3人の生徒がメダリストとなったが、3月の時点で2人は既に卒業してしまったため、なぜか体育の先生のお気に入りということもあって選ばれたというのだ。
 これはぜひとも見に行きたい。
見に行こうかなといったら、来なくていいよといわれたので、当日母はこっそりと見に行った。いや、こっそりというのは実は嘘で、写真撮りたさに聖火リレーの時ではなくパレード中にしゃしゃり出たら、息子は怒り心頭。鬼の形相の写真が撮れた。
そのあとに行われた聖火リレーと選手宣誓は、聖火台が邪魔でしっかり顔がうつっているものはたった1枚しかなかったというオチ付き。 
ただ、聖火ランナーの紹介として、彼が走っているときに名前、生年月日、柔術の今までの戦歴とともに、父の名前、母の名前として私の名前が読み上げられたときは本当に驚いた。来年は最高学年としてこのイベントを仕切る立場になるらしい。もう既に今年から張り切っているようなので、ダメといわれても絶対に来年も見に行ってやろう。うしし。