2017年5月29日月曜日

にいにのメダルストーリー

子供たちの夏休みも終盤を迎え、娘は日本の祖母のもとに3週間の予定で旅立ち、入れ替わりに息子が3週間のバンコク修行を終えて帰ってきた。休みに入ってのこの2ヵ月、息子にはいろいろなことが起こった。

休みに入ってすぐに毎年あるジュニアの国体に出場しなければならないのに、兵隊の合宿に数日行かねばならなかった。柔術という競技でプーケット代表として出場するのだが、出場するには体重制限もある。合宿中は出される食事は残してはならないというのもルールの一つなので、減量もままならない状態、結局10日間で6キロ近い減量をする羽目となった。

大会3日前、砂利道でバイクで派手に転んだらしく、夜に帰ってきた時に彼の左半身は包帯でぐるぐる巻きだった。私にこっぴどく怒られるのをわかっているから、一人で病院に行ったらしい。

翌朝、ちょっと試合は無理かもしれない、痛くて寝られなかったとこぼしたが、「柔道の山下は骨折していても金、野村も怪我をしながらも戦い続けた、お前も自分で勝手にバイクで転んだんだ、今更棄権などゆるさん」という私の言葉に、おれは山下でも野村でもないけど、と言いながら、他の選手よりも1日遅れで試合に旅立っていった。

怪我以前に、6キロ近い減量がパスするのかというのもかなり心配だったが100gの誤差もなく一発で成功。この減量の絶妙加減は最近ちょっと神がかってきたが、よく考えればそもそもこれももう少し計画性を持っていればここまでしなくてもいいという話である。

実は、転んだ当日くるぶしを5針縫い、その下の部分はとがった石によってえぐれ、骨近くまで肉がそげた状態だったというのは、なんとか試合に出場して銅メダルをいただき、帰宅した次の日に初めて聞いた。

怪我はその後もなかなか治らず、1ヵ月過ぎたあたりでやっと肉が再生して包帯をとることができる状態だった。おそらくあの日戦えたのは、スポーツマンとしての彼なりの意地だったのだろう。そして、包帯ぐるぐる巻きの息子の足を攻めてこなかった相手選手たちのスポーツマンシップ。

今回の銅メダル決定戦で、息子は今まで一度も勝てなかった相手に勝った。だがある日息子がぽつりと「俺が今回勝てたのは、あいつが優しかったからじゃないかなぁ、あいつは怪我をしてる左側を全く攻めてこなかった」と漏らした。おそらく相手は相当戦いづらい状況だったのだろう。次はフェアな状態で、彼に勝って心から喜びたいものだ。