2015年12月2日水曜日

兄やんの学生生活の意義

前回からの続き、午前中は学校の授業、午後は兵隊の激しいトレーニング、
その後手自分の習い事としてのテコンドーと柔術の練習に加え、時として
朝方までに及ぶ授業の課題。2週間この生活を続けてみるみるうちに、
疲れが顔に出てきた息子。

普段だらだらしている姿を見ると妙に腹が立って小言を言い、当然思春期
の息子は「うるせえな」となり大喧嘩に発展は日常茶飯事のわれら親子。
だが、皮肉なもので、あまりに過酷な彼の生活を目のあたりにすると
今度は心配になってくるのが親心。普段はやりたいといって中一から
始めた習い事を絶対に「休んだら?」ということは今までなかったが、
ついに「あと2週間この生活は持たないと思う、倒れてしまっては
元も子もないからテコンドーと柔術は2週間休もう」と持ちかけ
息子もそれに応じることとなった。

その後この過酷な1か月はなんとか終わりを迎えるのだが、
終わりを迎えるとともに期末テストが始まってしまうのである。

テスト結果は散々なもので、その結果によって出る成績表は本人も驚きの
ものだったため、その場で返却し、私は見ていない有様。
10月の休みは追試の勉強に追われ、追試の追試さえ合格基準に
達しなかった為本人反省しかり。
あれほど「そんなに勉強ってしなくて大丈夫なの?」と毎日口うるさく
言ってきたのがウソのように、何も言わなくても新学期が始まって数週間
経つ今でも毎日遅くまで復習しているようである。

本人曰く、「学生生活なんて学校、勉強、ソーシャルライフ、睡眠
ってあるかもだけど、すべてを満たすことなんて無理なんだよ。おれは、
今勉強もあきらめたくないから学校、勉強、ソーシャルライフを大事に
するから睡眠なんて少しでもいいんだ。
あ、俺の場合ソーシャルライフの中に練習も含まれてるから」
ということで睡眠時間を削って頑張っているよう。

この頑張りいつまでつづくのか?はたしてこれからどうなるのか。
期待半分、心配半分。どうやら母はそっと見守るしかないようである。

2015年9月30日水曜日

お兄ちゃんの過酷な日々

息子はただいま地獄の1か月の終盤を迎えようとしている。
この1か月間の彼の生活は親の私から見ても本当に過酷であった。
なにがそんな過酷かというと、ロードーという学生時代に任意で行われる
軍事訓練と学生生活の2重生活を送っていたためだ。

ロードーに関しては前にも書いたが、簡単に説明するとタイには兵役があり
21歳の時にくじ引きで決まる。くじ引きに外れたものは
絶対に兵役を2年勤めなければならない。逃げたり、行かなかったものは
タイ国民といての権利を与えられず、結婚もできなければ土地を買うこともできず、
IDカードも作れない。
そのくじ引きを唯一免除できる制度がこのロードーで、
学生生活もしくは20歳までに1年に1か月、
3年間この軍事訓練を受ければよいというもの。
軍事訓練にはいろいろなリスクが伴うので、参加しない子もいる。
息子の高校では3人に一人ぐらいが参加しないそうだ。

息子は朝5時20分に起床。訓練のために軍服のような制服に着替え、
編み上げのブーツをはく。装備を全部そろえるのにいつもより
時間がかかるため5分早く起床。
そのまま普段どおり学校に行き、午前中はその格好のまま普通に授業。
午後から移動して訓練センターに向かう。そこから5時まで訓練。

泥の中を匍匐前進したりするので、全身どろどろ、
天気の良い日は日に当たりっぱなしなので真っ黒。訓練後ははらぺこ。
急いで何かをかきこんで、テコンドーの練習。

夜9時過ぎに帰宅。どろどろになった制服の泥を高圧ホースで洗い流し、
その後の洗濯は私にバトンタッチ。
泥にまみれた制服は、洗濯機に入れられる前にかなり時間をかけて
泥は流しているにもかかわらず、3回ぐらい洗濯機を回しても
まだまだ茶色く濁る有様。
何度洗っても透明な水になることはないので、3回ぐらいであきらめる。

そして息子はパンツ一丁のまま、学校から出された大量の課題にとりかかる。
なぜなら、彼らが訓練をしている午後の授業で出た課題を
やらなければならないから。
これが終わるのが恐らく真夜中の2時か3時。
私は先に寝てしまうのだが、いつもこの時間に寝る前にシャワーを浴びる音が
夢の中で聞こえてくるからだ。
そして約3時間後に起床時間。

この生活を2週間近く続けたある日、息子は
「オレ1か月もつかな」とつぶやいた。 長くなるので次回に続く。

2015年9月13日日曜日

タイの運動会

毎年8月あたりはなぜかタイの運動会シーズン。しかしここの運動会は、かなり
日本のとは異なる。日本の運動会はご存知紅白にわかれ、全員がいろいろな協議
に参加し(時として親も)勝利を競うというものだが、タイの運動会は4色。
しかも、赤、黄色、ピンク、紫の4色。派手な色のオンパレードでこれまたタイ
らしい。

そしてこれが決定的に違うところだが、競技は陸上、バレーボール、バスケ、
フットサル、卓球などに分かれ、何日にも及ぶ。選手は希望者、もしくは各チー
ムの選抜者のみが出場できるシステムで、全員参加ではない。
参加しない生徒はどうするのかというと、ひたすら応援に徹するのみ。

何日にもわたって行われる競技の終止符は最終日、どこかの競技場や体育館など
で華やかなパレードとともに終わるシステム。このパレードも採点の対象となる。
そのため、女子たちは美を競う為、これでもかという化粧と朝の3時から美容院
で結いあげた髪、生徒によっては数千バーツかけたきらびやかな衣装を身にまとう。

なんも参加しないのではつまらないと言うので、今年うちの息子はバスケと卓球、
娘は水泳の競技に参加した。娘は最終日のパレードにチアリーダーのなかの更に
リーダーとしてパレードとダンスに参加。

ダンスでは、当日まで全く知らなかったがセンターでリーダーを立派に務めあげ
た。なんといっても声の大きさで学級委員に任命された娘だ。チアリーダーで大
声を出すのは得意中の得意。見事1位に輝いた。 ← 親ばか

しかし、このパレードの衣装代や朝早くから髪の毛をやったり化粧をしたりする
のは母としてはできればもうやりたくない。うちは経費節減のため、化粧も髪も
すべて私がやるが、それでも大変で、パレードに連れていくころにはもうぐった
りだ。是非とも今年限りでやめてほしいと思うのだが、そんな母の心とは裏腹に
「先生が来年はチームの一番前でプラカードを持つ人をやれだって」
と今から言い出した。母複雑。

2015年8月3日月曜日

【お兄ちゃん バンコクに修学旅行中!】

イエス、イエーーッす。
ほぼ毎日言い争いや喧嘩を日課のようにこなしている息子がただいまバンコク
にいっている。学校から、社会見学を兼ねた5日間の旅行だ。
息子がいなくて、娘一人だとこんなに家は汚れなく、洗濯物も少ないという
こともうれしいし、ストレスもほぼゼロ。快適な日々である。

息子のいっているインターナショナルクラスは1学年2クラス、1クラス
約20人という少人数制。ただ、もう1クラスは理数クラス、息子のクラスは
英数クラスと多少カリキュラムが違うため、行き先も多少異なるという理由で
息子のクラスが先発隊、もう一クラスは後期に行くということになっているらしい。

今回の行き先は、バンコク。行きも帰りも飛行機。泊るホテルはアイビス。
アイビスはインターナショナルホテルチェーンであるアコーグループが
手掛けているバジェットタイプのホテルブランド。決して安ホテルではない。
朝ごはんビュッフェ付き。

バンコク内では、
1日目アメリカ大使館、イギリス領事館の社会見学と夕方はサイアムスクエアで観光。
2日目バンコク中央郵便局、国連、アジア最大級のショッピングモール、パセオパーク観光。
3日目IBMなどのコンピューター関係の企業の社会見学、ラチャダーにある市場で観光。
4日目午前中は社会見学、午後はバンコクを離れ観光。
という盛りだくさんのスケジュール。

朝ごはん以外は自己負担だが、これだけいろいろ行けて生徒負担は4300バーツ。
ほとんどの費用は学校負担なので、かなりのお得感がある。
しかも、さすが公立。息子の高校は王立なので、国からの援助もかなりあるそう
なので助かる。

旅行は相当楽しいようで、全く息子からの連絡はない。
時々フェイスブックを除いては、友達がタグ付けしてくれた写真で息子の様子を
垣間見る。自分から電話もしなければ、フェイスブックに投稿すらしない息子はタグ付け
された写真の中で満面の笑顔を見せている。
もうすぐ戻ってきてしまうので、私のストレスフリーな生活ももうそろそろ終わりを告げる。

2015年5月29日金曜日

新学期スタート!お兄ちゃんの登校

待ちに待った子供たちの新学期がスタートした。やっほーー。
何がそんなにうれしいかというと、この2ヶ月半の長い休み中ほぼ一日中子供と一緒、い
つも子供たちの食べる物の支度に追われる毎日から解放されること。
兄の方はエスカレーター方式で上がれる高等部にいかず、他校を受験して高校から
他校に編入したため全くの新生活となる。

この新学期に入ってうれしいことがもうひとつ。
息子は今まで妹の学校(彼の卒業した小学校でもある)のスクールバスに
便乗して中学に通っていた。彼の中学は妹の小学校に行く途中にあったためである。
多少ならスクールバスは遅れても待っていてくれる。
待っていてくれるとなると、のんびり屋の気質の彼はかなり平気でバスを待たせるのだ。
そういうことが耐えられないせっかちの私とのんびり屋の息子の間で、
朝からバトルが繰り広げられてきた。

しかしそんな日々よ、さようなら。

彼は自らソンテウ(公共バス)でタウン近くの友達の家まで行き、
そこから友達と友達の家族に送ってもらうという交通手段を選んだ。
うちから、ソンテウ乗り場までは父親がバイクで送り、そこからソンテウにのって
友達のうちまで自力で行く毎日。ちなみに友達は同じ学校ではなく、
道路を挟んだ向かい側にある学校。

当然ソンテウは待ってくれないし、遅れたら友達のみならず友達の家族にも迷惑がかかる。
よって、以前は私が起こしていたのだが、今は目覚ましをかけて自分で起き、
ソンテウは待ってはくれないのでさっさと用意をして母にせかされることなく
家を出て行くようになった。人間やればできるのだ。

と思ったのもつかの間。
本日は寝過ごして友達の家の前を通り過ぎ、かなり先までいったところで目が覚めたらしい。
いきなり友達とご家族に迷惑をかけてしまったようだ。だめじゃない!

なにはともあれ新生活はスタートした。
新しい環境で、校則も厳しく、あまり友達もいないため今のところ学校生活は
楽しくないらしい。だんだん少しづつでいいから大切な高校生活がうまくいくよう、
母は祈っている。

2015年3月30日月曜日

お兄ちゃん合格!

日本もタイも3、4月は別れと出会いのシーズン。
わが子の卒業に涙した方も多かったことでしょう。おめでとうございます。

かくいう我が息子も先日無事に義務教育課程を終えることができました。
中学のこの3年間は、友人や、先生方やいい環境に恵まれ、彼にとっては最高に楽しい
3年間だったようで本当に何より。

今回は、卒業の話ではなく1ミリの受験勉強もしなかったくせに
急に受験すると言いだした息子の話の続きである。

受験願書の提出後、息子希望の学科の募集人数5人に対してなんと20人の応募があった
からさて大変。希望の学科は国立の高校のインターナショナル課。ほとんどの生徒が
中学からエスカレーター式に上がってくるので、高校からは5人しか入れないらしい。

やっぱりというかそりゃそんな簡単に受かってたまるかと真剣に勉強された生徒の方は
思うであろう、当然息子は正規に合格することはなかった。
がしかし、枯れ枝にぶらーんとぶら下がる枯葉のように、なんとか補欠という
なんとも中途半端な、そして私からするとなんとも息子らしい感じのポジションで
彼は残ってしまった。

がしかし、一向に補欠2番目の彼の順番は回ってこないのか、「空きが出ましたから合格です」
というような連絡はない。だめならだめで次を考えなければ、今月末に日本に帰国しなければ
ならない用事などの目途もたたないし、なによりどこにも行けなくなってしまったらそれこそ大変。

そこで学校に電話してみた。すると、もう少しお待ちください。チャイイェンイェン。
(落ち着いて)とういう答えが返ってきた。それからほぼ毎日にわたり、息子、父親、私と
かわるがわるに電話をしてみたが毎日のらりくらり同じような返事しか返ってこない。

ついに、しびれを切らし、「いつまで待ったらダメとかOKとかわかるのでしょうか」
と聞いてみると「校長先生が火曜日に戻ってくるので、そうしたら学校に来てください」とのこと。

我が家は自営業で家族全員で出かけられるのは1年に1回ぐらいだが、その火曜日はなぜか
家族全員で校長先生のもとを訪れた。
すると校長先生は 「あなたたちなんで8日のライガーントウア(入学のための登録)
の日に来なかったの?」という。へ?? 
「毎日電話して聞いてたんですが、その日に来いとは言われませんでした」というと
「ふーん、おかしいなあ・・・」という。そして、テストの成績等を見ながら
「ま、いいんじゃない?○○先生のところに次行って」とう。

校長先生曰く、どうやらその日に来てキャンルの人が出るのを待ち、
でたらその場で合格というシステムだったらしい。ふうむ。しかし、
なんであんな毎日電話していたのに誰も教えてくれなかったのだろう。

というわけで、なんだか不思議にも無事高校が決まりました。うちの旦那曰く、
「もったいつけて裏口入学させたかったんじゃないのか」とのことでしたが、
インターナショナルで学費高いうえに、裏口金まで払えませんよ、我が家は。
そこまでして行かなくてもいいしね。

というわけで我が家の枯れ枝はなんとか復活し、無事サクラが咲きました。
めでたしめでたし。 なのか??

2015年3月2日月曜日

お兄ちゃんが受験することになった!

日本は受験シーズンまっさかり。ここタイも受験のシーズンがやってきた。
タイは、理数系がなぜか異常にもてはやされるので、中学受験、高校受験をする
人たちはこのコンカーンという進学のための特別クラスの数学理科クラスに
必死に勉強して入学をしたい子供たちと、そうさせたい親たちの受験戦争は
年々暑くなっている気がする。

このコンカーンの枠はせまく、うちのお兄ちゃんの小学校や中学校でもクラスで
1番か2番ぐらいのとびきり頭のいい子がかろうじて合格するようなところ。
なのに、一か八かを狙った受験生たちがパンガーやはたまたクラビーあたりからも
やってくるのでちょとした受験生祭りのような状態。

そんななか、中学3年生の毎日一秒も家で勉強しないうちのお兄ちゃんが
受験すると言いだした。もちろん、理数が極端に弱いお兄ちゃんは理数系なんて
受けるはずも、受かるはずもなく、IEPという英語クラスを狙っているんだそうだ。

彼は中学の時に、高校受験しなくてもいい学校に推薦入学させてもらったので、
そのまま高校に上がればいいだけの話なのだが、
「オレはもっと広いソーシャルの中で生きていきたい」

とかなんかちょっと格好つけたようなことをいっちゃっているのである。
要するに私が思うには、彼が受けたい学校は女子が70%いや、80%ぐらいを占める
学校なので、今までのソーシャルでは狭すぎてモテなかったオレも
そのぐらい女子がいる学校だったらモテるんじゃないのか?
って思ってんじゃないのかという気がしないでもない。

というわけで、願書を出しに行ってきたのだが、いきなり数学の成績で
足切りされそうになった。これは中学が英語科に通っていると、ハンディをもらえる
らしく、英語科に通っているという証明を提出したら、なんとかパスした。

あとは3月1日の試験と面接だが、編入試験なので枠は10人しかなく、
願書を出しにいった段階で倍ぐらいの人が願書を提出していたのでまず恐らくだめだろう。
というかダメであってほしい。

というのも、学費が1年でなんと11万バーツ近いということが判明。
現在の6万バーツちょっとの学費でもヒーヒー言っている我が家には倍近い学費は辛すぎる。
もしこれに落ちたら、普通科を受験すると言っていたが、
こちらの学費は1年で5000バーツほど。なんと20分の1。
お兄ちゃんには言えないが、普通科でいいんじゃないかなあと思う母であった。
結果は次回に。

2015年1月27日火曜日

タイ人のママ友

最近子供の習い事を通して、タイ人のママ友なるものができた。
タイ人の友達ができたのは、ここプーケットに住んで10数年ぶり、ママ友に
至っては初めてのことである。10数年前に私が友達だと思っていたタイ人友は
ある日「5000バーツ貸して」といわれ、
私はその子のことを妹のように可愛がっていたので
「いいよ。なんか事情があるなら返さなくてもいいから。あげる。」 ← 当時は
羽振りが良かったもので(笑)
そういって5000バーツあげた。結局それっきりなぜか連絡がない。
返せないのが申し訳ないと思ったのか、なんなのかさっぱりわからないが、
その5000バーツをきっかけに縁は切れてしまった。なんとも安い縁である。

そして、ここ10数年タイ人と同じ職場になると言っても自分のところの従業員
ぐらいしか近くにタイ人はいなかったのでタイ人の友達を作る機会すらなかった。

だが、ここのところたまたま娘の水泳クラブで知り合ったママ友は、
私の淹れるカフェラテに砂糖を入れず、(タイ人は基本的に甘いのが好きなので、
砂糖を入れないでコーヒーを飲むタイ人をうちの旦那を含め私は知らない)。

私の作った日本食を何のためらいもなく食べ、ドレッシングに入れる調味料の話
をしていて「バルサミコ」やら「トリュフオイル」というちょっとタイ人には
聞きなれない言葉を言っても普通に理解する。

子育ての話をしていても、「え~??」と首をかしげたくなるようなことは全く言わず、
お互いに考えていることを理解しあえるのだ。

彼女はご主人がドイツ人なのと、もともとインターナショナルホテルチェーンで
秘書をしていたということもあり、私なんかよりよっぽど仕事もでき、英語も堪能だ。
付け加えるとすると、ちゃきちゃきのプーケット人なので、南弁もばっちり。
車を運転するのも好きで、先日も子供たちの水泳の大会でナコーンというところまで
行ったが、往復800キロを彼女は一人で運転してくれた。

私は今まで自分のいた環境でこういうタイ人の女性と知り合うきっかけがなかった。
気軽に電話しあったり、くだらないことをはなしたり、二人でごはんを食べたりする
ようなタイ人の友人がほしいなどと思ったことはいままで一度もなかった。
彼女と知り合って目からうろこというか、タイ人でもこんな普通に違和感なく、
接せられる人に出会えるとは思わなかったのだ。

そんな感じで、今まで結構つらかった水泳の待ち時間も何となく楽しくやっている
今日この頃である。
この話もう少し長くなるので、次回に続く。