2016年9月28日水曜日

新しい家族マリちゃん。

我が家にはかつて2匹の家猫と1匹の外猫がいた。
外猫はうちの庭に野良猫が産み捨てた4匹のうちの1匹が結局どこにも去らずそのまま残った子。
私は短毛種の猫にアレルギーがあるため、家に中に入れず外で彼女は一生涯を過ごした。
最後まで彼女は我が家の庭に居続けた。
1匹は今月10歳になる娘が生まれるときに知人に預け、その預け先で大変にかわいがってもらい今もそこの子として元気に幸せに過ごしている。
もう1匹の家猫は、オスだったためたまに衝動的に外に出て野良猫とけんかした際にどうやら猫エイズに感染、最後はかなりつらい症状が出て、歩くこともできず、ほぼ寝たきりの状態を1か月すごしたのちにいつも彼が過ごした私の座る席の足元あたりで亡くなった。
 最後はトイレもご飯を食べることもままならなかったため、息子がほぼつきっきりで看病した。息子は彼と最後濃密な関係であったため、亡くなった時のショックは大きく、金輪際もう猫を飼うことはしないといい続けた。
それから約4年。我が家に新しい子がやってきた。メスのペルシャの2か月の子猫。
名前は息子がマリと名付けた。
数日前に衝動的に彼は猫がほしい気持ちがむくむくと湧き出て、ついにわたしの
「じゃあさ、見に行くだけ見に行っていい子がいたら考えようよ」
といった言葉に首を縦に振った。

突然ゲージの中から出され、車に乗せられ、知らない家に連れてこられたマリは今すっかり安心した様子でおなかを見せてすやすや寝ている。
うちに帰ってきてから普段いがみ合ってばかりいる息子と娘は二人で協力して、額を突き合わせながらトイレの準備をしたり、水や食事の世話をした。
そんな光景を見られるのは、母としてはなんだかほほえましく嬉しい。

昨日試験が終わり、明日から1か月の休みに入る息子と来週の半ばから同じく休みに入る娘。新しい妹が加わり今回はちょっといつもとは違った休みになりそうだ。

2016年9月4日日曜日

兄やんが聖火ランナーとなる!

 オリンピックも終わり、スポーツ観戦オタクのわたしは少々燃え尽き症候群+オリンピックロス感に襲われる日々。次は9月にあるテニスのUSオープンか、10月の世界体操か。 
あ、9月からはまたサッカーワールドカップの最終予選が始まるか。それまでは私のスポーツ観戦もしばしお休みといったところである。 
先月の娘の体育祭が終わったと思ったら高校生のほうの息子の体育祭が先日やっと終わった。数週間にわたって行われた息子の中高一貫校の体育祭は、各競技がオリンピックのように2週間ほどにわたって開催され、最終日は陸上競技とともに各チームが応援合戦とパレードで盛り上がる。 
それはなぜか開会式も閉会式も兼ねる。息子の学校は中高一貫校でプーケットでももっとも生徒数の多いマンモス校。全校生徒は約3000人。3000人を収容できる場所はなかなかないので、プーケットで一番大きなスタジアムを借り切っての一大イベントだ。 
体育祭はたった一日のためにプロのオーガナイザーを雇うほどで、パレードの各色のプラカードを持つ先頭の生徒などは、貸衣装やヘアメイクなどで1万バーツ以上もかけるらしい。美貌とお金に余裕のある生徒のみにあたえられた特権といっても過言ではない。 
そして、今年は聖火ランナーになんと息子が選ばれた。聖火ランナーはスタジアムにある聖火台に上って灯をつけ、選手宣誓を代表で行うというもの。3000人の中から選ばれた大役。
この3月に行われたジュニア国体で、彼の学校では3人の生徒がメダリストとなったが、3月の時点で2人は既に卒業してしまったため、なぜか体育の先生のお気に入りということもあって選ばれたというのだ。
 これはぜひとも見に行きたい。
見に行こうかなといったら、来なくていいよといわれたので、当日母はこっそりと見に行った。いや、こっそりというのは実は嘘で、写真撮りたさに聖火リレーの時ではなくパレード中にしゃしゃり出たら、息子は怒り心頭。鬼の形相の写真が撮れた。
そのあとに行われた聖火リレーと選手宣誓は、聖火台が邪魔でしっかり顔がうつっているものはたった1枚しかなかったというオチ付き。 
ただ、聖火ランナーの紹介として、彼が走っているときに名前、生年月日、柔術の今までの戦歴とともに、父の名前、母の名前として私の名前が読み上げられたときは本当に驚いた。来年は最高学年としてこのイベントを仕切る立場になるらしい。もう既に今年から張り切っているようなので、ダメといわれても絶対に来年も見に行ってやろう。うしし。

2016年7月6日水曜日

娘の運動会とママのヘアメイク

プーケットは毎日雨がいやというほど降り、すっかり雨季に入った。そして雨季だというのに娘の学校の運動会が本日行われた。運動会自体は、体育館で行われるので雨でも全く問題はない。
だが運動会が始まる前にタイの学校ではなぜか必ず一般道をパレードするというのが習慣らしく、朝のラッシュの時間に警官が先導して通行規制を行いながら、大掛かりにやるので雨が降るとそれが中止となるのだ。
しかし、私の記憶では毎年なぜかパレードの時間だけは雨は降らず、どちらかというと暑いぐらいの天気になるのが恒例。 
運動会は日本のように紅白とかではなく、赤、黄、ピンク、紫というのが各校ほとんどだと思う。そして、1日では終わらず、数週間にわたってバレーボール、フットサル、卓球、水泳などを各色で競い合い、最終的に陸上競技場や、体育館等で陸上競技等を行いながら最終得点を競い合うというスタイルだ。 
今年うちの娘は水泳とリーラーという社交ダンス的なものに出場してそこそこの成績を残しチームに貢献した。最終日の本日は、チアリーダーの団長として出場。彼女の所属する紫チームのチアリーダーの今年の衣装は全身紫のスパンコールがびっちり縫い付けられた超フリ フリ派手派手でAKBも、ももクロも真っ青なアイドル張りのデザインだった。レンタル料1日で1000バーツ。 
子供たちは先生が指定したそれぞれの衣装でパレードに参加する。派手な衣装には、みなそれに負けないぐらいの派手な化粧と髪型を競い合う。ほとんどの子供は、朝の4時や5時から美容師を予約してヘアメイクをやってもらうのだが、あまりにやりすぎ感が強く日本人からすると非常に趣味が悪い。
そんなヘアメイクは3000バーツ~5000バーツほどかかるため、毎年我が家のヘアメイク担当はもちろんこの私。しかし、子供たちの間では「お母さん上手でいいな~、美容院に行っても悪魔みたいな顔にされちゃうから私もあなたのお母さんにやってもらいたい」と #12356;ってうらやましがられているらしい。どうだ、なかなか私もやるではないか。
 天候にも恵まれた今年のパレードは無事終わり、天候に恵まれすぎたせいかパレードが終わるころには、子供たちの悪魔メイクもどろどろと汗で流れ落ち、さらに迫力を増していた。
娘はチアリーダーも、派手な衣装を着てパレードするのも今年で引退し、来年はスタッフとなって縁の下の力持ちとなって下級生などの指導にあたりたいという。真面目な彼女らしいアイディアだが、幼稚園の時から毎年いろいろな衣装を着てパレードのヘアメイクを担当し #12390;きた私としては、それを聞いてほっとしたのだが、それはそれでなんだか寂しくなっちゃうなあとも思ったのだった。

2016年6月11日土曜日

【母と息子と母友のチェンマイ旅行】

毎年恒例の3月から2か月半の長い夏休みがやっと終わり、子供たちは学校に
戻っていった。
この休みの子供たち2人のそれぞれのメインイベントは、娘がひとりで日本に
行くということと、息子がジュニア国体に出場すること、そして母(私ですね)と
息子二人でチェンマイ旅行に行くこと。というのがあった。
今回は息子と私のチェンマイ旅行を簡単に紹介したい。

最初は、仕事で使う小物類を仕入れに行くというのも兼ねて息子を通訳として
同行させ、半分仕事、半分旅行で親子二人で行くつもりだった。ところが、
たまたまラインでチャットしていた日本在住の友人が台湾観光の帰りに
ジョイントすることになり、そしてさらに、たまたまバンコクから遊びに
来ていた友人も急きょ同行することとなり、
かくしておばちゃん3人と思春期の息子1人という珍道中となったのである。
ちなみに思春期の息子は、私の友人2人が大好きなので逆に喜んでいた。

台湾から寄り道の友人とはチェンマイのホテル集合だったため、
プーケットからはおばちゃん2人と青年の3人旅。チェンマイまでは
プーケットから直行便で約2時間。
空港からはレンタカーで約20分でホテルに到着。
今回は人数も多いので滞在中はずっとレンタカーを借り、私が運転した。

しかし今回の旅行で一番驚いたのはその暑さ。暑いというより熱い。
それもそのはず、プーケットも今年は暑い暑いといわれていたが、
それでも最も暑い日で36度ぐらい。しかし、われらのチェンマイ滞在中は
ほぼ毎日が43度。一番暑い日は44度になった。
この暑さは生まれて初めて体験する温度であった。

日中はどこに行っても熱風が吹き、サウナに入ったときのように目や鼻の粘膜が痛い。
オープンエアーの食堂に入ってもだれも扇風機をつけていないので、
壊れているのかな?おかしいな?と思い試しにつけてみてびっくり。
日本のサウナでタオルで風を送ってその熱波によってさらに熱さを楽しむロウリュウ
というのを見たことがあるが、まさにその効果。これには一同びっくり。

滞在中は少数民族の村に行ったり、ドイステープの寺院に行ったり、
工芸品の村に行ったり、息子と友人1人は酷暑の中テニスをやったりと
充実した忙しい4日間の滞在であった。

「チェンマイ、いいところだったなあ、楽しかったなあ」と先日しみじみと息子が言った。
プーケットはすっかり雨季に入り、しかもただ今大型のモンスーンが来ている。
ツーリストもすっかり少なくなり、チェンマイ旅行も手伝って我が家のお財布もすっかり
寂しくなってしまったが、おばちゃん3人と思春期男子高校生の4人旅、
楽しんでくれたようで母もうれしい。

2016年5月7日土曜日

お兄ちゃん、銅メダルに輝く!

息子の柔術のジュニア国体で初めて訪れた町、スパンブリーはバンコクドンムアン空港から
車で約1時間15分ぐらいのただただ平野な田舎町だった。
参考までに記述すると、タクシーのチャーター料金は言い値が1500バーツであったが、
「知り合いが1200ぐらいだって言っていましたのでそれでいかが?」
といったらあっさり1200バーツになった。

スパンブリーに到着したのち、大急ぎでサムローと呼ばれるオートバイの後ろに
荷台をくっつけた乗り物で試合会場の大学まで向かったのだった。
このサムローに試合機関の2日間乗ることになったのだが、乗っている間風の巻き込みがひどく、
全く目を開けていられないなかなかつらい乗り物であった。

数日ぶりに会う息子は、遠路はるばる応援に来た母になど目もくれず、
たまたまコーチが面倒を見ているチェンライのチームの子たちと親交を深めるのに
大変忙しそうであった。のちに、全くモテない息子にこのチームの紅一点の女の子が
好意を寄せるといった珍しい出来事もあったらしいので、さぞかし楽しかったに違いない。

さて、肝心の試合はというとこの日に息子の試合はなく、息子の親友の試合があり、
もともと才能の塊の彼は決勝でこそ敗れたものの、あっさりと銀メダルを獲得した。
これで次の日に試合を行う息子のプレッシャーはなかなかのものになったはず。

試合当日、初戦は不戦勝、2回戦、3回戦を順調に勝ち進みベスト4まで何とかこぎつけた。
しかし準決勝で惜しくも敗退。しかし通常であれば、準決勝まで勝ち進めば負けても3位で
メダルは確定のはず。ところがこの大会に限っては、敗者復活戦でこののち2回戦以上を
勝ち抜いた選手(ベスト4以外)たちがもう一度戦い、準決勝で負けた選手とこれを勝ち抜いた
選手はもう一度戦い、3位を決定するという不思議なルールだということが判明。

このメダルを取れるか取れないかというのは、単純に負けるか勝つかよりも心臓に悪い。
3位決定戦の間中「ちょっともう見てられないから、トイレ行ってこようかな」
となんど息子の親友につぶやいて、「ちゃんと見てあげて」と諭されたかわからないほどだ。
この試合時間3分とはなんと長いことか・・・ そんな母の心配をはねのけ、
かなり気合の入った内容で彼は見事3位、銅メダルをもぎとったのだった。

赤ん坊の時は普通の子供より歩けるようになったのも遅く、初めて歩いたのも1歳4か月ぐらいだった。
自転車に乗れたのも小学2年セぐらい。誰よりも遅かった。
運動会で走っても、やっぱり遅く、「ああ、この子は運動神経があまりよくないのだな」と確信した。

そんな息子が、まぐれでもジュニア国体で銅メダルを取るとは夢にも思わなかった。
本当に心の底からうれしくて、普段喧嘩ばかりしてドラマのように「うるせーばばあ」
といわれることもしばしばだが、こんな親孝行をしてくれるとは夢にも思わなかった。
競技人口が少ないとか、いろいろなラッキーなことも重なったからだとも思うが、
運も実力のうちというではないか。誰が何と言おうと、これも彼の実力なのである。
ああ、なんという親ばかぶり。

今息子の高校の前を通ると、ジュニア国体でメダルを取った選手を称えるとても大きな看板が飾られている。
3人の生徒がメダルを胸に映っているのだが、その一番左端は息子だ。
県のスポーツ協会が、メダリストたちの写真をとって看板を作り、各学校に寄贈したらしい。

私にとって子育てとは何かにつけてお金もかかるしストレスや心労も絶えないものであるが、
時として思いもかけない喜びももたらしてくれるものである。

2016年4月1日金曜日

【兄やんジュニア国体に出場の巻】

またまた子供たちの長い休みがやってきた。3月の頭から5月の中旬までの
約2か月半の間、タイの小中高は1年でも一番暑いこの時期に休みに入る。
この長い休みに入ってすぐに、ここ半年の中で私と息子の間では最大の
イベントであるジュニア国体がスパンブリーという県で行われた。

ジュニア国体とは、競技によって年齢が若干異なるが、大まかに12歳以上
18歳以下の青少年たちが各競技を県ごとでメダル数を競い合う。交通費、
および滞在費も県から支給される。通常の試合は交通費も滞在費も自己負担
なので、県からお金が支給されるというのも初体験。これだけでも感激。
今回は一人あたり5600バーツの支給だった。
これプラス、もしメダルを獲得できれば県からご褒美の賞金が出る。
日本でプロのスポーツ選手やオリンピッククラスでないと試合で賞金が、
ましてや学生に賞金が出るという話は聞いたことがないのでまたまた驚き。

こんな大会に出れる機会はこの先もうないかもしれない。
ということで、急いで飛行機のチケットを取りスパンブリーと言う、
行ったことはもちろん、あまり聞いたこともない県に応援に行くことになった。

行きかたはプーケットからバンコクまで飛行機。安く行きたいのであれば、
空港からバンコク市内まで出て、バンコク市内からバスかミニバスで
約2時間半。ただし今回は出発日の9時から試合がスタートするとのことなので、
早朝6時の便でバンコクまで行き、時間がないのでそのままドンムアン空港から
タクシーで現地まで行くことにした。
この話、まだまだ長いので次回に続く。

2016年2月1日月曜日

兄やんのお正月

この間年が明けたと思ったらもうすぐ2月。
子供たちも上の子なんてこの間中学生になったと思ったら、もう高校生で、はっと気づいたらあっという間に二十歳を越えていたなんて数年後に言っていそうである。

年末は毎年、ちょっとした御馳走をつくって昔からお世話になっている人たちにきてもらいうちで紅白を見たり、年明けとともに上がる花火を我が家の三階から見るのがなんとなくの恒例行事となっている。

ところが年末が迫ったある日、息子が
「ねえ、大晦日は友達と年越しパーティーをしてカウントダウンをしにいってもいい?」
と聞いてきた。
すかさず
「だめよ。うちはうちでパーティーがあるのを知っているでしょう。お友達のうちに泊まりに行くといっても、よっぽどのことがない限りダメとは言わないんだから、大晦日ぐらいはうちにいなさい」
といったら、多少文句を言いながらもそれで納得したらしい。なぜならその日は私の友達の娘もやってくる予定で彼女は彼のクラスメイトだから。「あいつも日本人とタイ人のハーフだし、親に付き合ってうちにくるのならオレも我慢しよう」と思ったのではないだろうか。

ところが大晦日当日。友達の娘はお友達のうちで開かれる年越しパーティーにいってしまったのである。
そこで自分だけがパーティーに行けなかった怒りが爆発する息子。四文字バッドワードをつぶやきながら、一気に期限が悪くなってしまった。
そこまで機嫌が悪くなるのだったら、居ていただいてもろくなことはなさそうなので、じゃあそんなに行きたいなら行っておいでよといったのだが、もう遅いと完全にいじけてしまった。


しばらくはずっと機嫌悪そうにしていたのだが、その後何人かの友達と連絡がついて私たちの住むパトンビーチに数人の友達が、がカウントダウンをビーチでするためにやってくるためそれにジョイントできることになったらしい、ちょっぴりだけおしゃれをして、いそいそと年越し前に出かけて行った。
カウントダウン後、結局皆で友達のうちに泊まることになったというメッセージを残し、彼は生まれて初めて年越しをうち以外のところで過ごした。